(話は前回から続く)
「ゼノン」にしても「クレタ人」にしても、微妙な言葉遣いによって印象を操作する、手際は共通である。
当然のことながら、詐欺師が金を巻き上げるときにも、しばしば用いられる手法なので心されたい。
だがとりわけ、論戦のときの武器として、こいつが有効なのだ。
手の込んだ言語操作で、相手を幻惑する。いつのまにかこっそり論理をすりかえて 有利な結論に誘導する。詐術のような論法で、相手を遣り込める。
「論破の帝王」を自称する者も、さんざんそういう手口を重ねてきた。
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正しいかどうかなんて、知ったこっちゃないんだ。とりあえず議論に勝てばいいんだ、というようなときに。
とりわけ自分に分がないとき。形勢が少しばかり不利なときに、しばしばこの手を使う。
いけないことだと知りながら。反則だとは知りながら、とりあえずその場の勝利を盗むために。
まるでいかさまで勝つ麻雀みたいに、最後の手段に訴える。
いかさまは、やられた方が馬鹿なんだ。詐欺なんて、引っかかるやつが悪いんだ、と開き直りながら。
もっとも、向こうがちゃんと理知的な人間であれば、小手先のトリックはあっさり見破られてしまう。
だけど自分の論戦の相手なんて、みんなそろって頭が悪いので、たいていはこの戦法で切り抜けられる。
かつて自分の弁舌の才能を誇って、「わが舌を見よ」とうそぶいた先人がいた。ちょうどそんな気分である。
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いわば「鬼沢の逆理」みたいのを、即席ででっち上げる。
もちろんアキレスは亀に追いつけるにきまっているから、屁理屈であることはわかっているのだが、彼らの知能では反論を組み立てることはできない。
彼らはただ虚を突かれたように、うぐっと一瞬声を呑む。
そのあとは、どうやら貧弱な脳みその回路が、ついに焼き切れてしまったらしく、
「暴論だ。暴論だ。うぎゃー」
と、わけのわからない叫び声を上げ始める。
まったくもって、哀れな人種である。
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ふと思い出したが、格下の相手を攻めるときには、「定義で問い詰める」という戦法もある。
たとえば、「なんで水は摂氏10度ではなく、摂氏0度で凍るのか。お前は説明できるのか」と詰め寄る。
もちろん、種明かしは簡単だ。水が凍る温度を摂氏0度と決めて、目盛りを作ったわけだから、そこで凍るのは当たり前なのだ。いわば定義の問題、命名の問題であって、証明もなにもありはしない。
典型的な愚問なのだが、論敵たちはたいてい、そのことに気がつかない。
俺はそんなことも説明できないのか。そんなに頭が悪いのか、と頭を抱えてしまう。
これじゃあ、この相手には到底かなうわけがない、と勝手に尻尾を巻いて退散してくれる。
なぜ太陽は東から昇るか。なぜ三角形には角が3つあるか。何でもかまわない。
蛇足の蛇足だが、昔ある数学の教師が、「5の3乗根を3乗すると」という計算問題を出した。注
あまり出来のよくないクラスだったので、生徒全員が「こんなのやり方教わってないよ」とぶー垂れたそうだ。
これもその類いだ。大半の学生は、定義とか何とかには関心がない。ただ「やり方」を教わって、その通りに計算するのが数学だと思っているので、どうにでもいたぶることができる(笑)
(注:言うまでもなく「aのn乗根」の定義は、「n乗するとaになる数」だから、答えは5である。)
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『ロミオとジュリエット』の中で、バルコニーのジュリエットは独白した。
「ああロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」
もちろん文学的な修辞として見れば、秀逸なセリフだ。だが額面通り受け取れば――論理の世界においては、「あさって」の発問と笑われる。
ただただ、
――そうやって名付けたからだろ!
と一喝され、どつかれて終わりなのである。