1+2+3+4+・・・=-1/12だと唱える天才たち  

 先日NHKの『笑わない数学』という番組で、こんな数式が紹介されていた。
 1+2+3+4+・・・=-1/12

 ナビゲーター役のお笑い芸人が、絶叫していた。
「どんどん大きくなる数を、無限に足し合わせていったら、とんでもなく大きな数になるはずだろ! なんでマイナスになるの? そんなはずないだろ! おかしいだろ!」
 と、視聴者の驚きを代弁して、わめいていたのである。

 だがこの数式は、けっしてデタラメではない。()
「ラマヌジャン」という天才数学者が最初に唱え、現在の数学界では、どうやら本当にそうらしい、ということになっているようだ。
 そのうえそれは、ただの数字のトリックではない。さまざまな物理の現象の背後にも、この数式が隠れているらしい。
 何と宇宙の構造を論じるにも、一役買っている。この世界の神秘を解き明かす、秘法かもしれないというのだ。(「カシミール効果」「超弦理論 」)

     *

 自分はもちろん、数学も物理も、門外漢である。説明はおろか、ほとんど理解さえできない。

 だが幸い、哲学や形而上学というものには、ずっと馴染んできた。だからこの数式を見ても、特に驚くことはない。
 まあ、そうかもしれないなあ。そういうことになっても、別におかしくはないな、と妙に納得してしまう。

 だってそうだろう。
 無限に数を足し合わせていく――だがそもそも「無限」は、人知を超えている。私たちの認識の、埒外の世界なのだ。
 その彼方で何が起こるかなんて、無限の彼方に何があるかなんて、誰にもわかりはしない。
 我々の浅慮では、とんでもなく非常識に見える不条理が、起こっていたとしても別に不思議ではないのだ。

     * 

 つまりはこういうことだ。
 ついさっき、旅立ちを見送ったばかりの男が、気がついたら自分の背後にいる。
 地球は丸いわけだから、あっというまに一周して、そこに戻ってきたわけだ。
 まあもちろん、男がよほどの健脚ならば(笑)、というたとえ話だ。
 だが移動の問題さえ大目に見てもらえば、あくまで理屈としては、ありえないことではないだろう。

 だがしかし、もし大昔の人間がこの話を聞いたら、どう受け止めるだろう。
 彼らはまだ、地球は丸いことを知らなかった。
 だとしたら、あちらに向かって立ち去ったはずの人間が、気がついたら背後にいる?――そんなことがあるはずもない。馬鹿なことを言うな、と一喝されるか、笑いものになるかどちらかだろう。

 だがもちろん、笑われるべきなのは彼らの方だった。彼らが無知だったのだ。
 その認識の範囲はあまりにも狭く、その視野の果てで――海の向こうで、地球が弧を描いていることを理解できなかった。
 彼らの限られた認識の、その埒外では。彼らの常識では、ありえるはずのない妖異も、起こりうるというのに。……

 だがしかし、もし彼ら・・がそうだとすれば、現在の私たち・・・だってきっと同じなのだ。
 私たちもまた、すべてを知っていると思い込んでいるだけで、本当はけっしてそうではない。
 一万年後の人類から見れば、笑うべき無知な原始人でしかない。
 だとしたら、そんな私たちの限られた認識の、その埒外では、私たちの常識ではありえるはずのない妖異も起こりうる。
「無限」もまた、その一つだ。私たちの窺い知れないそこでは、どんな不条理が起きたって不思議はないのだ。

     *

 たとえば地球から、まっすぐ彼方に、ロケットを打ち上げる。そのまま宇宙を直進しているはずのロケットが、なぜかいつしか地球に戻ってくる。
 そんな馬鹿な話が、あるはずがない?
 だがしかし、もし私たちの知らない無限の宇宙の果てに、円環のような構造があったとしたらどうだろう。
 ぐるりと宇宙を一周したロケットが、そうして素知らぬ顔をして、また初めのスタート地点に戻って来たとしても。それはそれで、別段何の不思議もないのだ。

 私たちの知る、三次元の宇宙だけではない。
 宇宙には四次元、五次元……、と複雑な多重の構造があって、円環がひそんでいるのは、そのあたりなのかもしれない。
 私たちの知らないそのループを通って、ロケットが帰ってくることだって、十二分にありうるだろう。

 もちろんロケットというのは、あくまで一つのたとえだ。
 あの例の級数についても、同じことが言える。
 1+2+3+4+・・・と、足せば足すほどだんだん増えていく。だから最後はとてつもなく大きな数に、近づくように思える。
 だがそれはあくまでも、私たちの限られた、認識の範囲での話である。
 何しろ数列は無限に続くのだ。その無限のはてに何がどう起こるかなんて、少なくとも人間の体感では、捉え切ることはできない。
 ひょっとしたらそこに、何か円環の構造のようなものがあって。増えていたはずのものが、やがては負の領域に入り込んで、-1/12で行き止まりになる。
 そんなことだって、あってもおかしくないだろう。――

     *

――神と悪魔は、実は同一であると言う者もいる。(注)それと同じように、プラスの無限大とマイナスの無限大は本当は同じもので、いや、少なくともどこかでつながっていて、……

 しろうとのくせに、何たわごとを抜かしているんだ、って?
 もちろん、そうかもしれない。すべてはまったくの、見当違いかもわからない。
 自分だってけっして、そうである・・・・・と言っているわけではない。ただどんなことだって、そうでありうる・・・・・・・。可能性があることを、忘れてはならない。

 私たちの知識が、完全であったことはない。私たちの感覚体験は、いつでも有限の檻の中にかぎられている。
 だがその向こうの何かに、思いを馳せることはできる。
 私たちはずっと、そのようにして知の領域を広げてきた。
 地球が丸い、という話だけではない。
 ビッグバンも宇宙の膨張も。相対性理論もブラックホールも。反物質も量子もつれ(注)も。かつては狂人のうわごとにしか聞こえなかったそれらを、今では誰も疑う者もいない。
 かつて数字と言えば、指を折って数えられる、自然数だけしかなかった。だが今では、少数も、負の数も、誰もが当たり前に使いこなしている。

 人類はずっと、そのようにして知の領域を広げてきた。――
 そして天才たちは、いつだってそのパイオニアだったのだ。
 だとしたらまず、彼らの言うことに、虚心に耳を傾けることだ。
 そんなはずないだろ! おかしいだろ! などと、何でもあまり頭ごなしに、決めつけないことだ。

 やみくもに眉に唾を付けるのではなく、まず自らの狭量を、疑ってみることだ。
 人知を超えた神の領域にも、たまには思いを致すことだ。
――と、ただそういうことだけを、自分は言っておきたかったのですよ。