モンティ・ホール問題――大阪選抜に賭ける理由 

「ゼノン」と「クレタ人」の話をしたから、同じ論理系のテーマで「モンティ・ホール問題」に触れてみたい。

 かつてアメリカの人気クイズ番組で、クイズで正解を重ねた挑戦者が、賞品獲得のために最後に挑むのが「3択の扉」というゲームだった。
 「モンティ・ホール」とは、番組の司会者の名だ。まあ日本なら、「みのもんた」みたいな感じのやつだと思う(笑)
 ゲームの手順は、次のようなものだ。

1.3つの扉のうちの1つが「当たり」で、賞品の高級自動車が待ち構えている。残りの2つは「外れ」で、その向こうには山羊がいる(笑)

  1.  挑戦者は3つの扉のうちの、1つを選ぶ。

 ここで扉を開けてしまっては、平凡すぎてつまらないので、そのあとにひとひねりが加えられている。
 仮に挑戦者の選んだ扉をA、残りの2つをBとCとしておく。
 司会者は、どれが当たりかを知っている。もちろんBとCのうちの、どちらか一方は外れである。
 そこで、

司会者は挑戦者の前で、BとCのうち一つを開けて見せる。

 それが当たりだったら、挑戦はもう終わりなのだから、見ている者はらはらするわけだが、そうはならない。
 司会者は必ず、わざと外れの方を開けている。挑戦者をビビらせて、番組を盛り上げているだけなのだ。それこそ『クイズ$ミリオネア』の、みのもんたみたいに(笑)
 開けた外れの扉が、Cだったとしよう。この段階で当たりは、挑戦者が選んだAか、司会者が開けなかったBかの2択になる。最後に、

4.司会者は挑戦者に、あなたはAを選びましたが、この段階でBに乗り換えてもいいですよ、と変更を提案する。

 こうすることで、挑戦者はいわば人生の選択を迫られる。自分の最初の信念をあくまで貫いてAにこだわるか、悪魔のささやきにつられて、決心を曲げるか――

     *

 さて、この「3択の扉」について、新聞のコラムでちょっとした論争が巻き起こった。
 純粋に数学的に――確率的に考えた場合、挑戦者は扉を乗り換えた方が有利なのか、現状を維持すべきなのか、はたまたどちらでも同じなのか?

 一般の読者に加えて、多くの数学者たちは「同じ」を支持した。
 当たりはAかBかどちらかにある。その2択なのだから、確率はどちらも1/2だと。
  詳細はネットに譲るが、加熱した論争はある女性数学者を巻き込んだ罵倒合戦となり、そして……最終的な決着は、試行実験による検証に委ねられた。

 そこで下された結論は、
「扉を乗り換えると、勝利の確率は2倍になる」
だった。
 大学教授たちを含めて、二流の自称数学者たちは結局、大いに赤っ恥をかいて終わったのだ。

     *

 この正解についての数学的解説は、これもまたネットに譲ることにする。
 ここは文系出身者らしく、直観的な、わかりやすい説明を試みてみたい。

 もともと3つの扉に当たりがある確率は、それぞれ1/3だ。これはさすがに、文系でもわかる(笑)
 そこで「グループ」という考えを、導入したらどうか。
 BとCを合わせた「B&Cグループ」の勝率は、2つを合わせた2/3になる。一方Aの単独の勝率は、1/3のままだ。
 この関係はみのもんたが(笑)、扉を一つ開ける前も後も、変わるはずはない。
 その後であなたは、AからB&Cグループへ、乗り換えることを提案されたのだ。

 この提案に飛びつかないとしたら、よっぽどの馬鹿か、自分の博才ばくさいを過信しているか、どちらかだろう。

     *

 少し切り口を変えてみよう。

 2つの箱のうち、どちらかが当たりであるとしよう。それぞれの当たる確率は、もちろん50%だ。
 そこで誰かが、左の箱は外れである、と教えたとしよう。
 その瞬間、右が当たる確率は100%となる。もともとAが担っていた確率が消滅した分、そっくりそのままBが引き受けるのだ。


 「3択の扉」で起きていることも、まさにこれだった。

 司会者がCは外れと示した瞬間、今度はBがCの分の確率も併せ持つ。 B&Cグループのすべての勝利確率を、一手に担うことになる。
 他のものではないと判明するたびに、そのものの確率は上がっていく。没になったものの確率は、残りものに振り分けられ、呑み込まれていく。――

     *

 どうもまだ、びんと来ないって?
 それではもう、一気に話のレベルを落とそう(笑)

 夏の高校野球をネタにして、賭博をするとする(笑)
 大阪代表と鳥取代表の対戦で、勝敗にお金を賭けるのだ。
 あなたは選手の力量も含めて、チームの内情は何も知らない。野球音痴の、ただのギャンブル狂だと仮定する(笑)
 あなたは一体、どちらのチームに賭けますか?

 きっと誰でも直観的に、大阪代表を選びたくなるだろう。チームのことも、選手のことも何も知らないけれど、とりあえず何となく強そうだと。
 そしてもちろん、その直観は正しいのだ。
 それはそうだろう。
 大阪代表は、激戦の地区予選を勝ち抜いてきた。昨年(夏)のデータで言えば、165校が予選に参加している。一方の鳥取は22校である。
 チームの実情を何も知らないとすれば、全国3549校、どの学校にも同じ勝利の可能性がある。大阪代表はそのうちの165校分の確率を束ね、託されて戦っているのだ(確率165/3549)。一方の鳥取の勝利は、22校分の確率でしかない(22/3549)。そこには実に、7倍以上の開きがあるのだ。

「3択の扉」についても、同じ構造がある。
 いわばBの扉は、B&Cグループの予選を勝ち抜いてきた代表であり、今ではCの勝利の確率もあわせて身にまとって、すっかりステータスを上げている。
 一方Aの扉は、予選を行う相手すらなく自動的に、無選抜で選出された。鳥取どころの騒ぎではない(笑)。そんな弱小の「代表」に、誰が命の次に大切な、お足を賭けるだろうか?

 博打に勝つためには、確率に対する直観的な、嗅覚のようなものが必要だ。
 鳥取代表に大枚を張る者がいたとしたら、根本的にこのセンスを欠いている。
 それと同じように、「3択の扉」についていまだに腑に落ちない人は、博打にはけっして手を出さないことだ。あなたは切った張ったの鉄火場では、永遠に勝ち組になることはできない。

 確率音痴のギャンブラーの、末路は目に見えている。
 一生博打に負け続けて。身ぐるみはがれて、素寒貧になり、みじめな老後を送ることになる。
 この私みたいにね(笑)